YAMANAKA KAIKEI 山中会計事務所

1人テニス合宿?
「山の日」の決め事(^^)
「月の満ち欠け」佐藤正午
キャベツ畑
散歩釣り第一号
日税連総会
ギブソンLG1最後の週末
ウィンブルドンの美女達(^^)
小指の思い出
被災支援と自助
散歩釣り>>>再チャレンジ
秋葉原夏の陣の後
軽井沢散歩釣
会務後のロールキャベツ(^^)
時々日記 山中会計事務所

2010年1月
<時々日記>

トップページ

時々日記 INDEX

> 2010年1月

贈与の申告時期って・・・(税金)

(Jan 25, 2010)

 確定申告の時期が近づき、個人所得税の申告資料を収集が始まりました。同時に昨年の贈与についても納税者と確認をします。


 先日納税者から、「贈与税は調べられてから申告納税すればいいんでしょ、日本の首相とおなじように・・・」と言われてしまいました。 

 そんな矢先さらに、日経新聞朝刊(1月23日)の社会面で、税理士としては、気になる記述がありました。


 民主党の小沢幹事長が、検察の任意の事情聴取に応ずることになり、争点は、「収支報告書への虚偽記入」と「土地購入資金4億円の原資」とのこと。

 
 後者の争点について記事では、「7億円弱の個人資金は約20口に、小沢氏の妻と3人の子供の計4人の名義で預けられてた。親からの相続財産及び自から形成したとされ、家族に資産を残すため妻子名義にしていたが、小沢氏自身が管理していた。」と報じられています。

 ブログに書いた「名義預金」です。相続税を逃れる目的で家族名義の預金を作成したことが明らかになりました。原資がゼネコンからの裏献金でないと主張できればそれで済む問題ではありません。納税道義から甚だ逸脱した話で税金にかかわる仕事をする者としては納得ができません。


 首相や与党の幹事長がこれでは、贈与税はバレタラ納税すればよいのかと言うことになってしまいますね。今年の確定申告は多難だ・・・。

2010/01/23 ky

続「沈まぬ太陽」に期待・・・・(経済社会一般)

(Jan 21, 2010)

 日本航空は、1月18日東京地裁に会社更正法の適用を申請しました。事実上の倒産、100%減資で株は無価値に。今後は、公的管理下で3年内の再建を目指ことになります。

 日本航空の設立は1951年です。私が生まれるた年の6年前に過ぎないので社歴は以外に短い。それでも憧れの企業であり、高度成長のシンボルでした。

 クリスマスにもらったブリキの飛行機を今でもよく覚えている。機体の胴体に電池を入れスイッチを入れると、両側の翼のジェットエンジンが、赤く点滅し、ゴムタイヤで自走する。尾翼には勿論JALのシンボル赤鶴が。私が幼稚園の頃の、あの時代のタイムリーな贈り物だった。


 小学校一年生の時、同級生が福岡に転校していった。名前は「荒真(アラマコト)」君。目がくっきりした美少年で人気者。仲良しだったので、転校後すぐに葉書を出した。そして返事は、雲の上を飛ぶ日本航空のジェット機の写真絵葉書。文面よりも、そのジェット機を見て、彼はこれで遠くまで飛んでいったんだと・・・。遠くに行った友達も、ジェット機も、当時の私には遠い存在だった。


 実際、私が小学生の時は、羽田空港に行くことが社会科見学だった。それくらい、一般家庭の子供達にとって飛行機とは遠くて憧れの存在だったのだ。

 その当時から40年経過して、日本航空の事実上の倒産という事態は、ショックです。昨年公開された渡邊謙主演の映画「沈まぬ太陽」をみていると、政治家・官僚との癒着、複雑な労働組合等日本航空の体質が判る。

 映画における石坂浩二役が、御巣鷹山墜落事故で苦境に陥った日本航空を再建するために、中曽根総理が送り込んだ鐘紡の伊藤淳二氏。


 1月20日の日経新聞4面「日航更正法申請ドキュメント」は、映画かドラマのようなスリリングな実話ストーリーで興味深かった。「沈まぬ太陽」の続編が可能と思いました。


 最高経営責任者として送り込まれる京セラの稲盛和夫氏は、年明け早々に辞任した藤井財務大臣と同じ77才。主役としては魅力に欠けるが、最後まで勤めきってハッピーエンドなシナリオにして頂きたいと願うばかりです。

2010/01/20 ky

もんじゃと勝鬨橋(経済社会一般)

(Jan 15, 2010)

IMGP0836.jpg

 一月の三連休でしたが、右足首の故障でスキーやテニスも出来ないので、気晴らしに東京下町の散策。もんじゃを食べに月島へ。

 自宅最寄り駅の落合長崎駅から大江戸線でわずか37分です。

 60軒近くの店から1軒を選ぶのは大変です。以前「もんじゃストリート」入り口の案内所にて、進められて失敗。

 それに懲りて今は、自分の目で判断することに。今回は、「つくしや」さんへ。

0831.jpg

 母親は、幼少時代に疎開で下町で生活していたので、もんじゃは駄菓子屋さんで食べるおやつだと語っていました。

 私の幼少時代には、自宅近辺に何軒も駄菓子屋さんがありましたが、新宿にはもんじゃがある駄菓子屋さんはありませんでした。

  従って、もんじゃを食べたのは大人になってから、お酒と一緒にです・・・。

  おもちと明太の入ったもんじゃ!! 駄菓子どころでなく立派な食事です。

IMGP0835.jpg

 「つくしや」さん正解でした。

 女将さんは、気さくで作業は手早い!

店員さんも、常にテーブルの鉄板に常に目を配り、さっと来て火の強弱の調整をしてくれます。

 着ている洋服に臭いが付くのは覚悟しなくてはなりませんが、このお店ではちゃんとダウンはマフラーを入れるビニール袋が手渡されます。

他のお店でもしているかも、考えたら冬にもんじゃに来たことは、あまりなかったかも。

IMGP0838.jpg

 帰りは、銀座まで歩きました。

 途中、墨田川にかかる勝鬨橋を渡ります。

 明治38年に日露戦争の祝勝記念として有志により

「勝鬨の渡し」が設置され、その後昭和4年架橋が完成。

船が通り過ぎる時に橋が跳ね上がり、通過の間、車や路面電車が待機している写真が、小学校の教科書に掲載されていたのを覚えています。

2010/01/15 ky

初詣 厳島神社

(Jan 01, 2010)

0766.jpg   今年の初詣も、元旦の朝に自宅から100メートルの神社へ。

とても穏やかな陽気でした。

 先日自宅近辺を車で運転中気が付いたことがあります。

  この神社がちゃんとカーナビに登録されていたのです。   ちょっとビックリ!!

 

 

 

IMGP0767.jpg
最近、社内の掲示板にこの神社の由来が貼られています。以下は、原文そのままです。


「厳島神社」 

当宮は、天保四年(1833年)当地大和屋平八なる者、安芸国宮島の厳島神社に社参の際、御分霊を拝受して帰郷し、邸内に小祀を営み鎮斎したのが創建の源であります。

当時この地方は閑村で、この周辺も深い谷間で清水が湧き池がありました。水は、不動谷を流れて妙正寺川に注いでおりました。

清浄明媚で、村落諸人が厚く崇拝してまいりました。

明治の末、大和屋一家が離散したので、近隣の者が祭祀を承継してまいりました。

関東大震災後、箱根土地会社がこの一帯を宅地造成の為、社地もこのところに移転いたしました。

 以来、文化村弁天禄として御神徳の昴揚に信者が多くなりました。

 昭和38年土地所有権の紛争も調停し、この地を永久に当宮の社地と定めら、篤志家の奉斎を以て復興しました。        厳島弁財天「覚置事」より

 

IMGP0812.jpgこの記載で思い当たることが二点。

 

・子供の頃、祖母より神社の裏に、村民の野菜の洗い場が   あったと聞いたことがあります。

現在も地形はそのままです。

お気に入りのクリスマスイルミネーションを見上げる地点が、洗い場です。

・昭和38年の地権紛争は、心当たりあります。

私が幼少の頃は神社のとなりの敷地は、神社と一体でかなり広い敷地で、格好の遊び場だったのです。

突然遊び場は、立ち入り禁止になり、神社は現在の広さになってしまいした。

2010/01/01 ky