
2011年4月
<ブレイク>
ギター紹介#7 ・・・・ギブソンJ50 (音楽)
このギターは、私に生まれて初めてスキーを体験させてくれた叔父が他界した2009年の暮れに、入手した思い入れの深いギターです。
ギブソンJ-50です。
J-50は、J-45のナチュラル・フィニッシュ仕様ですが、決定的な違いはサドルです。
J-50は、固定サドル、J-45はアジャスタブルサドルです。
そしてJ-45と言えば、ジェームステーラーです。
私のJ-45は、シリアル#387939。
ギブソンのシリアルナンバーは、マーチンより複雑で判りずらいですが、1965年製のようです。
数年前に入手したLG-1と同じビンテージですが、以前からもう少し音鳴りするギブソンが欲しいと思っていました。
初めて手にしてチューニングする時から、その音は正にジェームステーラーのあの音でした。
これは、コード弾きしたらすごいなーとの予感が、チューニングの段階で予想できました。
握った感じは、「えっ」こんなにネックが細いのかと思いました。
Kヤイリが制作している一五一会という4弦ギターのフックに収まってしまう程細いのです。
実際、計ってみると40ミリでした。LG-1やマーチンのD18らが、43ミリですからかなり細いです。
以前DVDにて吉川忠英さんがご自分のJ-50を説明する場面で、「ネックの感じが弱い」と表現されていました。どういう事かよく理解できませんでしたが、実際手にしてみると、なるほど。たしかにこのボディにこんな華奢なネックは不釣り合いです。細くて薄いので心許ない。
しかし、乾いた高音と腹に響く低音は、まさにギブソンビンテージの醍醐味そのものです。静かなアルペジオでは、6弦と5弦の低音がボディを通して体に伝わります。大排気量のスポーツカーが、余裕で一般道を流し、アクセルを踏み込めば、即座に乾いた音のガンガンのストロークにシフトアップできるみたいな感覚です。
2009年の暮れは、ちょうど押尾コータローバージョンの「見上げてごらん夜空の星を」マスターした頃だったので、何度も惜別の曲として弾いて年末の夜を過ごしました・・・・。
今またこの曲を東北の被災地に向けてサントリーがテレビCMで流してます。私も再び頻繁に弾くようになりました・・。
2011/04/19 ky
仕様
トップ スプルース
サイド・バック マホガニー
ネック マホガニー
指板 ハカランダ
ブリッジ ハカランダ
スケール 24 3/4インチ
「桜咲くころ」・・・・そして「家路」(ブレイク・その他)
被災の日からようやく一ヶ月。
東京は桜があちらこちらで満開に。
奥多摩自転車道の小平付近の桜。
日曜日の吉祥寺は、井の頭公園の花見客が沢山繁華街に流れて来て、混雑していました。
街には、路上で義援金箱を前にアコギのライブ演奏も散見でき、徐々に普段の賑わいを取り戻しつつあります。
今年は、あまりギターの練習もせずスキーに没頭していたら、3.11の震災によりさらにギターを弾かなくなってしまっていした。
やっと普段通りギターのレッスンに通い、家でも頻繁にギターで押尾コータローさんの「桜咲くころ」やこの「家路」を弾くようになりました。
「家路」は、今年マスターした最初の曲になりました。
東日本大震災の時期に練習していると、ふと被災者の方々に「家路」とは、心情的に辛くなって何度も途中で弾くのを止めてしまったことも・・・。
今は、いつか家路をたどり戻れる家が復興しますようにとの思いを込めて弾いてます。
また、今年は子供達3人がそれぞれ高校入学、大学入学そして就職という節目の4月でもありました。
特に自宅を離れて子供を社会人として送り出すことは、親として喜ばしいことです。
しかし反面、生まれてから20数年同じ家だったのに、家路を進めたどり着く家が、別々の家となるのはちょっぴり寂しいなぁ・・・。
今までのギター練習はソロばかりで、しかも素人なので技術的に弾ければOKで、過去にあまり思いを込めて弾くということが無かった。「家路」という曲で今回初めて思いを込めてという経験を・・・。
2011/04/11 ky
自粛の最中てすが敢えて・・・志賀高原へ(スポーツ)
震災後、3度のスキー予定をキャンセルしましたが、4月2日と3日に志賀高原にスキー行ってきました。
写真上は朝6:30頃の上野駅。
(左) 通常なら、待ち合わせやコンビニで買い物をするスキーヤーやボーダーが多数いる場所。
店舗さえ営業していない。
(右)地下の新幹線ホームに向かう長いエスカレーターの壁。JRの旅のポスターは完璧なまでに取
り外されていた。
(左上) 改札に立てられたインフォメーションボード。今回の地震で東北新幹線の被害状況を告げる写
真と路線図。重なり合うほど沢山の箇所に「×」。
(右上)JR系のスキー場、ガーラは震災日から営業休止のメッセージ。
長野駅からの志賀高原直行バスのアクセスに一番都合のよい新幹線「あさま」。
車内は愕然とすほど乗客がいない。
まだ、学校は春休み中なのに・・・。
さらに、驚愕!!
長野駅バス停。
スキーヤー、ボーダー誰一人いません。
その後数人のスキーヤーが、ポツリポツリ来ましたが、
全員でも10名位でした。
で・・・・・、スキー場(高天原)は、押して知るべし。
リフト乗り場には、誰も並んでいません。
ゲレンデに、ポツンポツンと人が見える程度。
いつも、お世話になっている宿泊先ホテルS
の夕食風景。
春休みで普段なら満室だろうに・・・・。
ホテルのご好意で、チェックインは午前からOK
また、チェックアウトもフリーにして頂きました。
本当はあまり飲みたくなかったのだが、なるべく、お金をホテルに落とすため、体重を気にしつつ熱燗を注文。
「山中さんは、日本酒好きなのですね?。」と、
ホテルの人に言われて、苦笑するばかり・・・。
そんな訳で、心配していたとおり世間は、極度の自粛ムードに陥っていました。
今回は、長野駅から志賀高原直行のバスの運行が4月4日に終了するので、ホテルに置いてあるスキー道具を引き揚げるつもりでもありました。
しかし、5月連休まで滑れる志賀高原です、バス乗り継いだり自家用車を利用してでも、出来る限り訪れようと考えが変わり、スキー道具は置きっぱなしで帰って来ました。
来週からはスキースクールも再開するとのこと、是非沢山の常連さんに来てもらいたいものです。
最初は、気分が乗らなかった今回の志賀行きでせしたが、行って良かった。
今回は、2日間で色々なゲレンデを一人でツアーしました。 ちょうど滑走日数が目標の20日に。
以下の写真は、その写真。
(左上) コブがほとんど消えてしまった、高天原のコブ斜面。
(右上)誰も居ない、一の瀬パーフェクター。もちろんポールも張ってない・・・。
(左上)今シーズン初めて、訪れた奥志賀。ここの上級者の斜面が一番雪質が良かった。
2日間で最も気持ちよく滑れた。
(右上)不得意といてたジャイアント。スクールの指導の成果か、爆走しないできっちり滑れました。
2011/04/04 ky